1982年7月の初代カニの家
画像提供:赤いGSX400FのM O さん |
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コメント:M O さん |
送らせていただいた写真の日付・・・わかりません。7月8月あたりです。適当、アバウト、エエかげんな旅て゛したから。 私は「カニの家」のテントはもちろん好きでしたが、それ以上に「喫茶さんのうとマスター」が好きで帯広を中心にしてバイクで走っていました。ですから何日かカニの家でブラブラして何日か走りに行く。一週間ほどして夜に戻ってくる。カニの家では合唱や大騒ぎが始まっています。自分はそのまま「さんのう」に「ただいまぁ〜」と言って入っていくのです。そうするとマスターが「ほいよっ」と言って砂糖をたっぷり入れて甘くなった北海道の濃い牛乳をホットにして出してくれるんです。「おごり、飲め」って言いながら。旅の話、音楽の話、人の話、女の話・・・。いつも数人がいてマスターの話を聞いていた。 みんな金が無かったから商売にはならんメンバーばっかり。ほんとにマスターは旅人が好きだったんだろうな。 昼間もテントの周りでゴロゴロしている奴らが何人もいて時々緑ヶ丘公園に行ってハンドベースボールしたりもした。当時ギネス記録という長さのベンチがあった。 夜になると市内へ出ておかずを頼めばご飯のお代わり自由という居酒屋へ何人かで行き70円くらいのソーセージを頼んでご飯のお代わりをしまくった。そのうち店員さんが呼んでも来てくれなくなった。 夜はテントよりも帯広駅で寝てた。テントは初めての人やらに譲る。喫茶さんのうにいることが多くなり夜の大騒ぎもだんだん参加しなくなったけど、何かと手伝っていた。ギターやバンジョーを弾いてたのがバレテ、皆の前でBlack Mt Ragとか Under The Double Eagleなんか弾かせてもらった事もあった。 当時はカニの家はもちろんYHでも禁酒だったけど、今の若い酔っ払い以上に酒飲まなくても酔っ払えてた。安上がりだったなあ。 帯広の写真を添付します。皆で遊びに行った緑ヶ丘公園、ギネスのベンチ。地元の人に教えてもらった中嶋みゆきさんの実家「中嶋産婦人科」(こんだけピントがぼけてたらサイトにあげても大丈夫かな?) 帯広は私の実家の舞鶴、大学のあった名古屋、その次に日々を重ねた街でした。 長々と申し訳ありませんでした。思い出が湧き上がってきて・・・・・。カニの家を大切に思っていてくださることがサイトから伝わってきます。本当に嬉しいです。 |
かにの家 (1982年) 画像著作権:M O さん |
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かにの家 (1982年) 画像著作権:M O さん |
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緑ヶ丘公園 (1982年) 画像著作権:M O さん |
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中島産婦人科 (1982年) 画像著作権:M O さん |
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緑ヶ丘公園ベンチ (1982年) 画像著作権:M O さん |
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画像著作権:M O さん コメント :M O さん シェルパ斉藤さんも本の中でも書かれていました「さすらいの旅を〜」を合唱させられた・・・ あの頃の夜は必ずこれを歌っていました。さんのう発行の帯広通行許可書の中にも歌詞がありますね。 どなたか写真を出しておられたと思いますが・・・。 確かこんなメロディーだったと思います。聞いてみてください。 メロディー |
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画像著作権:M O さん コメント :M O さん ついでのついでに、学生時代の冷蔵庫に貼ったステッカー。 この年、道内(帯広だけではなかったと思いますが・・・)の農協(JAではなかったと思いますが・・・)に 行けば貰えました。結構みんなもらってたと思います。 |