カニの家 設置の時代背景(昭和46年 1971年)

          参照文献  よしだゆうじ 著   「実録・カニの家始末記」

                  帯広地区労 著   「カニの家・始末記」

          資料提供  藤川澄人 様


 

当時の観光背景

 毎年(注 昭和46年当時) 夏の訪れと共に 北海道に旅する若者の数は 1年1年
 多くなってきました。特に唯一の秘境といわれる知床を訪ねる人の数は まさに爆発的な
 傾向にあり その余勢は道東地区に旅する者の増加を もたらしていました。

 

当時の帯広駅の状態

 7月始めから9月中旬までの間  帯広を訪れるカニ族は増加し 帯広駅を仮泊個所と
 考えるものが増加していた。

  ●帯広駅は夜間 約3時間閉鎖され 駅前のコンクリートの床で仮泊していました。

  ●駅前にごろ寝する者の大半は 毛布一枚を覆り 新聞紙を敷いていたが 夜半に急激に
   気温低下の場合 寒さに身を震わせている者も多く 特に女性にその傾向が見られました。

  ●寝泊りした跡始末が必ずしも良くなく 新聞 古雑誌などが散らかっており 駅清掃人に
   とって その取り片付けが 大変になっていました。

  ●一番列車(6時50分)後も 眠り続けている者がおり 駅前美観上好ましくありませんでした。

 

仮泊テント設置の発案(昭和46年7月中旬)

 駅前を利用させないということで問題の解決にはならない ということから 地区労側から
 市民部長の高橋久道氏に対して テント設置問題が提起され 氏の全面的賛同を得て
 帯広駅長との折衝が始められました。

 

帯広駅との折衝

 駅長は個人的には主旨に理解を示し 国鉄の管理する用地に「テント」を
 建設することには難色を示しながらも 再三の釧鉄当局との照会では

  ●鉄道利用者でない者にまで便宜を計る必要はない。

  ●市が善意で行うならば 市有地等に建設すべき。

  ●求められている用地の管理者は駅ではなく保線区である。

 などと 否定的な発言 回答であり 加えて カニ族の来帯の最盛期の山も
 過ぎようとしていたため 設置構想をあきらめようとしていた。

 

8月6日に至って次の条件のもと 設置が認められる

  1、敷地利用は本年に限り 明年は市が善処する。

  2、宿泊を認めるのではなく「旅行者一時休憩所」としての掲示をすること。

  3、清掃等について責任を持つこと。

  4、宿泊する場合 男女一緒にならないようにする。

 

テントの初開設 (8月9日)

 国鉄側の示した条件に対して 市側が明年以降に対する姿勢について
 一札を入れ 8月9日 待望のテント設置が行われ カニの家の 記念すべき
 第一歩が ここに始まりました。

 注: 初年度は「カニの家」ではなく「クラップハウス」と呼ばれました。

 

初年度テントの備品等

宿泊テント一張り (19.8平方メートル)

レザー表タタミ    十枚 (官庁の払い下げ古タタミを使用)

電燈          二燈

洗面器        一面

灰皿 くず入れ   各ニ

 

初年度設置経費

寄付

    観光協会    一万円

    商工会議所  五千円

    個人寄付   六千一二四円

支出

    テント  一万円  (市内山根テントより一万円で寄贈を受ける)

    清掃委託料 五千円

    電燈仮設料 四千三二四円

    たるき、 板 一千八〇〇円