十勝日報     昭和47年(1972年)6月13日の記事
   
カニ族の宿ことしも

帯広駅前  ”テント張り”無料で

 帯広を訪れるカニ族のために帯広市と帯広地区労は、ことしも七月初旬から
九月下旬まで帯広駅前近くにテントを張り無料簡易宿泊施設を設ける計画でいる。

 リュックを背負ったカニ族が駅の待合室や屋外で寝袋に入って仮眠している姿は、
観光地ならどこでもみかける。帯広駅も例にもれず、本州方面から学生たちが
ドッとやってくる七月から8月にかけては連日のこと。とこらが帯広駅は午前零時から
同三時まで旅行者を外へ出すとあって、駅前でゴロゴロすることになり、これを
みかねた帯広地区労の吉田勇治議長らが昨年、関係方面に働きかけて
初めてテント張りの無料簡易宿泊施設が実現した。帯広駅前交番うらに二〇人ていど
泊まれる家型テントを張った簡単なものだが、八月九日から九月一七日までの
四十日の開設期中に約三百人のカニ族が利用し、なかなか好評だった。

 ことしは出切れば七月初旬から設けたい考えで、現在場所などについて
帯広駅と話し合っている。

 

 

十勝日報     昭和47年(1972年)7月2日の記事
 
"カニ族"のお宿設営       帯広地区労職員らが汗

 帯広を訪れるカニ族のためのテント張りの無料簡易宿泊施設がことしも七月一日
帯広駅東側にオープンした。

 リュックを背負ったカニ族が駅の待合室や屋外で寝袋に入って仮眠している姿は、
観光地ならどこでもみられる。帯広駅もれにもれず、本州方面からドッとやってくる
七・八月は連日のこと。しかし、帯広駅は午前零時半から同三時まで閉鎖するために、
駅前でゴロゴロすることになり、これをみかねた帯広地区労が関係方面に働きかけ、
無料の簡易施設が実現し、八月九日から四十日間に約三百人のカニ族が利用し
好評だったので、ことしも一ヶ月余り早く実現した。

 一日は、約二〇人近くの市、地区労の職員が午前中にテント一張り(約二〇u)
を設営し、午後オープンした。さっそくカニ族が訪れていた。ことしは中旬までに
さらにもう一張設営する。期間は八月末まで。

 

 

十勝日報     昭和47年(1972年)8月25日の記事
   
市民の善意に泥       "酒盛り"どんちゃん騒ぎ

帯広駅構内のカニの家

 帯広地区労、帯広市などの努力によって帯広駅構内に設けられた"カニの家"で
最近、酒盛りをし、ドンチャン騒ぎをしている者がいて、国鉄職員や付近の住民から
苦情が出ている。市でもさっそく、テント内に張り紙をするなどの対策を構じている。

 このテントは帯広駅が午前零時半から同三時まで閉鎖するため、七・八月にもなると
"カニ族"たちが駅前で寝袋に入ってゴロゴロ。これを見かねた帯広地区労が
関係機関に働きかけ昨年はじめてお目見えした。ことしはテントを一張り増やして
二張りにした。先にNHKで全国に紹介されたこともあり、毎日三、四十人の人が
利用、好評を得ていた。

 ところが、一九日あたりからこのテントの中で酒を飲み、ドンチャン騒ぎをする
"不心得者"が出てきた。これを見て帯広駅、帯広鉄道公安室で再三注意したが、
効果はさっぱり。このテントのすぐ近くには帯広駅の外勤系の仮眠所があり、
あまりの騒ぎで眠れない―という職員の苦情も絶えない。また、付近住民からの
苦情も多い。

 また、苦情は職員、付近住民たちばかりではなく、同じ仲間のカニ族からも
出ている。酒盛りの場から逃げ出したカニ族が駅前でゴロゴロ寝ている姿が
再び目立ってきた。このため帯広市ではテント内に「酒は静かに飲むべかりけり。
諸君の努力でテントを守ろう」という張り紙をして、宿泊者に自粛を促している。

 帯広駅、市、地区労では、再びこのような騒ぎを起こすならばテントは即、撤去
する―といっており市民の善意を踏みにじった一部の”不心得者”のために
来年からの存続も危ぶまれている。

 

 

十勝民報     昭和47年(1972年)10月20日の記事
   
カニの家始末記     

 "何か"求めて放浪      畳の宿に旅の情けを知る

 リュックを背に観光地を歩くカニ族に安眠の場をと、帯広地区労、帯広市青少年課が
国鉄の協力を得て昨年から実現したカニの家はことしも好評のうちにテントを畳んだ。

 七月一日から九月二〇日までのカニの家開設中、実に四千人にのぼる"カニ"が
利用、全国でただ1ヶ所というカニの家は連日にぎわったが、実現の原動力となった
帯広地区労の議長の吉田勇治さんが「カニの家始末記」第二号を発刊した。

 この始末記は、カニの家に備えてあった三冊のノートに若者が感想文を書いたもの
をまとめたもので、なにかを求めて全国各地からやって来たカニたちが「帯広市民の
みなさん、ありがとう」といい、旅のつれづれをしるしている。

 吉田さんは「現代の若者を理解するために非常に参考になった。現代の青年は
ナニカを求めて模索の旅を続けている。しかし、同年代の者でも社会に対する意識に
格差があり、同時に愛情にうえている者が多いのです。テント小屋にしかすぎなくても
長い日々、野宿をしてきた者、家庭に背をむけてきた者などが、古タタミの上に腰を
据えたとき、家を思い、一路わが家を求め、あるいは放浪の旅に終止符をうとうと
する気持ちにかりたてられたという事実―。私はカニ族の若者に与えたこのテントが
これほどに若者の心をゆさぶり、その赤裸々な気持ちにふれるとは夢想も
しませんでした」と、おどろきをもって語っている。

 以下はノートに記されたカニ族たちの声―

【第一のノートより】

非常に寝心地が良いので八時間以上も寝てしまったのだ。
全くのタタミの上で寝るのは疲れが取れる。帯広の女性はきれいな人が
多いですねー、また絶対来るぞ!
                        (3・7 東京都)

(以下 略)