十勝日報 昭和47年(1972年)6月13日の記事 | |
カニ族の宿ことしも 帯広駅前 ”テント張り”無料で 帯広を訪れるカニ族のために帯広市と帯広地区労は、ことしも七月初旬から リュックを背負ったカニ族が駅の待合室や屋外で寝袋に入って仮眠している姿は、 ことしは出切れば七月初旬から設けたい考えで、現在場所などについて |
十勝日報 昭和47年(1972年)7月2日の記事 | |
"カニ族"のお宿設営 帯広地区労職員らが汗 帯広を訪れるカニ族のためのテント張りの無料簡易宿泊施設がことしも七月一日 リュックを背負ったカニ族が駅の待合室や屋外で寝袋に入って仮眠している姿は、 一日は、約二〇人近くの市、地区労の職員が午前中にテント一張り(約二〇u) |
十勝日報 昭和47年(1972年)8月25日の記事 | |
市民の善意に泥 "酒盛り"どんちゃん騒ぎ 帯広駅構内のカニの家 帯広地区労、帯広市などの努力によって帯広駅構内に設けられた"カニの家"で このテントは帯広駅が午前零時半から同三時まで閉鎖するため、七・八月にもなると ところが、一九日あたりからこのテントの中で酒を飲み、ドンチャン騒ぎをする また、苦情は職員、付近住民たちばかりではなく、同じ仲間のカニ族からも 帯広駅、市、地区労では、再びこのような騒ぎを起こすならばテントは即、撤去 |
十勝民報 昭和47年(1972年)10月20日の記事 | |
カニの家始末記 "何か"求めて放浪 畳の宿に旅の情けを知る リュックを背に観光地を歩くカニ族に安眠の場をと、帯広地区労、帯広市青少年課が 七月一日から九月二〇日までのカニの家開設中、実に四千人にのぼる"カニ"が この始末記は、カニの家に備えてあった三冊のノートに若者が感想文を書いたもの 吉田さんは「現代の若者を理解するために非常に参考になった。現代の青年は 以下はノートに記されたカニ族たちの声― 【第一のノートより】 非常に寝心地が良いので八時間以上も寝てしまったのだ。 (以下 略) |