十勝日報     昭和49年(1974年)6月25日の記事
   
"カニ族の家"店開き

帯広駅横            全国の若者らに人気

 雨続きもようやく晴れ間を見せた二十四日、ことしで四年目を迎えた
帯広名物"カニ族の家"がことしも店開きした。同日午前九時半から帯広地区労と
市青少年課の人たち、十二、三人が霧雨の中で二基のテントを組みたてた。

 年々、帯広を訪れるカニ族は多く、"旅の一夜"を過した若者の間で人気が高い。
ことしのカニ族は、例年より出足が早いところから関係者は約一週間ほど早く
設営した。今では全国に紹介されて、いつもより利用者が増えるものとみられている。

 設置場所は駅横の日通東側の市所有地。たたみ十枚ほどのテントで、合わせて
三十人は収容出きる。昨年は九月末まで延べ三千人が利用した。

 

 

十勝日報     昭和49年(1974年)9月5日の記事
カニ族の気まぐれ"旅日記"

心のふれあいに喜び          気楽な日常性求め

 

リラックスした旅

 旅行シーズンの六月から九月にかけ、若い旅行者のための簡易宿泊所として
市が国鉄帯広駅構内に仮設している「カニ族の家」のテントが好評だ。

 一六畳敷ほどの大きさのテントが二張りで、この中には多い時で、五、六十人が
"すし詰め"で寝泊りすることもしばしば。テントが解体される九月下旬までには
約三千人がごヤッカイになりそうだ。薄暗いテントの中には市青少年課が用意した
「雑記帳」が三、四冊無造作に置かれ、旅の思いでを書き記るすのに重宝されている。
「雑記帳」からヤングの思想、行動などを探ってみると―。

リュック背に広い行動半径

旅行ルート

 「カニ族の家」に参上する旅行者の主な旅行ルートは、一応に語られないものの
同一点として各自の個性、嗜好、フトコロ具合によって種々雑多な旅行日程を
組むことが挙げられる。たとえば、サロマ湖―能取湖―網走湖―屈斜路湖―
摩周湖―阿寒湖などというふうに北海道の公害に汚染されていない湖めぐり一途に
観光旅行を計画する者。

 また、積丹半島―宗谷岬―知床半島―ノサップ岬―エリモ岬などの岬めぐり一本で
道内一円を巡回する方法などが一例としてあるがなかには半島と湖の"混合派"も
主流として存在している。一方、せっかくの北海道旅行でありながらマージャンセットを
グループで持参して"マージャン巡行"に来訪している者や各地のパチンコ屋をハシゴ
する"ギャンブル派"もめずらしくない。

行動範囲

 ち密な調査をしながら旅行ルートを決めているヤングの行動範囲はおとなの
想像を絶する。道内各地の交通機関の普及もあるが、リュック背負って帯広―
糠平―然別―帯広―札幌と一時も休ますに超スピードで過ぎ去るのは朝飯前。
市青少年課では「ヤングの行動範囲が広いのには驚いています。このため帯広は
せいぜいカニ族のテントが利用されているだけ」と苦々しい表情だ。

 しかし、帯広滞在のカニさんたちは、「カニ族の家」が気に入れば、二日も三日も
寝泊りし、中には一週間の長期滞在者などもいるそうだ。当然、長期滞在者が
"家長"になることもしばしばで、風変わりな若者社会を形成している。市としては
「簡単な宿泊を兼ねて設置したのだが、トラブルが起きなければ」(市青少年課)
と思案している。ヤングの行動的な一面と好奇心,執着心の対照がおもしろい。

し好・好奇心

 一人旅もいれば団体旅行的な気の合った者同士五、六人の旅も目立つ。
一人旅といってもひと昔前ほどに気張ったものでなく、極めてリラックスした姿勢で
旅行を楽しんでいるむきが多い。例えば「同じ旅人のかわいい女の子とは、とうとう
知り合えずじまいだった。かなりいっしょうけんめいがんばっていたのだけれど・・・」
(仙台市・鈴木一弘)や「幸福行きの切符を手に入れるのに東京からやってきました」
(東京都・柳沢哲治)など、気楽な日常性を求めてやってくる者が圧倒的に多い。

 これらの若者たちに共通している点がある。物質社会の中に人間関係を離れ、
旅先の住民などとの率直な会話を望んでいること。「雑記帳」には旅人同士の
心のふれあいを強く求め、実現した時「市役所の人、コーヒーどうもありがとう
役人があんなに話せる人とは思わなかった」と喜びを書き記している若者。
「○○さんの話はおもしろかったが、帰省したので残念」(東京・土屋明敬)
など、"出会い"を求める若者像は現代っ子のものだ。