十勝日報     昭和50年(1975年)6月20日の記事
   
"カニ族の家"今年も

帯広駅東側            21日設置、オープン

 帯広を訪れたカニ族に、一夜の宿を無料で−と、五年前から始められた
帯広名物「カニの家」二張りが、二十一日午前十時から組立てられることになり、
テントを訪れた若者の青春の日の一ページをことしも演出する。

 さわやかな初夏の訪れとともにことしもカニ族の姿が目立ってきた。
この「カニの家」は、毎年帯広駅前などの地べたにズラーとならんで寝袋にくるまって
夜をすごすカニ族に、帯広地区労が同情して四十六年に市にテントを一張りを寄贈して
「カニの家」が誕生した。以来、新聞、ラジオ、テレビで紹介され、また、若者から
若者へと口コミの影響で、ここ二、三年はテントをたたむ九月末までに、延べにして
約三千人を下らないようになった。ピーク時にはテントに入り切れないほどの盛況。
四十七年には、女性のカニ族が急増したこともあって、市民篤志者からの寄贈で
二張りのテントがお目見えした。

 設置場所は駅東側の市所有地で昨年は二十四日に設置した。たたみ十二枚ほど
(約二十u)の大きなテント二張りで、合わせて四十人が寝泊りできる。組立て作業は
二十一日午前十時から市青少年課、帯広地区労で行われ、正午に「カニの家」の
オープンとなる。

 

 

十勝日報     昭和50年(1975年)6月22日の記事
若者たちの交流の場

帯広              カニの家がオープン

 帯広名物「カニの家」がことしもお目見えして、自転車に大きな振り分け荷物を
いっぱいつけたカニ族が「ぼくたち第一号ですか!」と大喜び。
二十一日午前十時、青空がいっぱい広がった初夏の日差しの下で、軍手をはいた
帯広地区労と市青少年課の職員約十五人が手際よくテントを二張りあげ、
たたみを敷いた。ことしで五年目とあって市民の間でも関心が高く、
「今年も始まりましたねえ」「にぎやかな夏になりますねえ」と声をかけ合う風景があって、
"文なし"で旅をする若者への暖かい理解度が、会話の中から伝わってくる。

 名物「カニの家」の設置場所は例年通り帯広駅東側の市所有地。昨年より
三日早くオープンしたが、帯広駅付近にはカニ族が目立った多くなり、オープン早々
人気を呼んでいる。広さは約二十uで中にはたたみ十枚が敷かれ、四十七年からは
二張りで"開業"

 "帯広名物"の「カニの家」は毎年駅付近の地べたにズラーッを並んで寝袋に
くるまって夜を過すカニ族に、帯広地区労が同情して市にテント一張りを寄贈したのが
始まり。翌四十七年には女性用テントがお目見えした。「カニの家」は毎年楽しい話題を
生み、文字通り若者の交流の場となる。市内のユースホステルやホテルへ泊っても
夜には「カニの家」に集まってくるという楽しいたまり場。昨年の最高滞在者は、
サラリーマンノ男性で三か月間という記録者がいて、仲間から"酋長"と呼ばれ
「カニの家」の規律の統制をとりながら交流を深めていたという。また、女性では
BGで二十五日間という人がいた。

 若者の青春の日の一ページを演出する「カニの家」は正午にオープン。
係員は汗びっしょりだった。「なんでも聞いてやろう」「見てやろう」と旅をする若者の
間では一度は寄らなければならないコースになっている。

 

 

十勝日報     昭和50年(1975年)6月25日の記事
   
「カニの家」で旅の夢枕

帯変り種 横になり交流

初日の夜七人 ストで足止めの人も

 二十一日に、帯広名物「カニの家」がお目見えしたが名古屋から来た自由業の
青年が、今年の「カニの家」の宿泊者第一号となった。オープン初日の夜は、この
青年のほか五人のカニ族と、動労ストで足止めをくって、その腹いせに酒を呑んで
酔っぱらったおじさんの合わせて七人が。帯広の風物詩となった「カニの家」で
一夜を明かした。

 第一号の青年は、三月末に名古屋の家を出て、沖縄へ渡った。竹富島には
若者がいなく、人口の八割が老人。心あたたまる素朴な人情にふれ、三ヶ月間を
過した。北海道へ来るとき一度名古屋へ立ち寄って、一週間前に北海道入りをした。
「カニの家」のことは、帯広市内の喫茶店で新聞を読んで、知ったそう。二十一日の
午前十時からテントの組立作業が行われたが、この第一号の青年も、市役所青少年課
や帯広地区労の人たちを手伝って、たたみを運んだりした。青年は二人兄弟の二男坊。
サラリーマンをやっていたが三年前「単調な生活にいや気をさした」のが青春の日の
放浪の旅のキッカケとか。「いろんな人と知り合いになりたい。いろんな人と話したい」
と、インド、ネパール、韓国を旅行した経験もあり、そのほとんどは駅のべんち、公園の
片すみで野宿という。北海道で帯広は、「カニの家」オープンの日、一日予定というが、
気が向いたらまた戻って来ると言っていた。札幌でアルバイトをみつけ、北海道の短い
一夏を謳歌する予定で、利尻島礼文島へ渡るのを楽しみにしていた。

 第二号は鎌倉からの学生で、北海道は10日間の予定。ローロッパ旅行の経験が
ある。第三号は四国高知からの無職の青年で、昨年、北海道入りをしたきり。
十一月ごろまで各地を自転車で歩いて、倶知安で一冬を越してしまった。
第四号はアメリカ」・バージニア州の外人で大阪の大学へ通っているとか。「大雪山、
層雲峡が良かった」と青い目を輝かせていた。

 みんな旅行にかけては玄人はだしで、人ごみを避けたシーズンオフを愛し、
ユースホステルのような宿泊場所をねらう。そして「ひとり旅に限る」と口をそろえ、
旅行経験が豊富だ。

 「カニの家」の中は、床とか屋根に使ったタルキの新しい木の香りが漂って
ひとつのテントに二個づづの裸電球、灰皿用のブリキのバケツ、ホーキ・・・。
大きなしょいこのリュックの中は、カメラ、日記帳などぎっしり詰まっていて
青春の日の旅は尽きそうもない。

 

 

十勝日報     昭和50年(1975年)7月29日の記事
   
"青春の哀歓"込めて

フォーク調で "カニの家の歌"

 観光旅行の若者たちが、一夜の夢をむすぶ帯広駅前の"カニの家"。
今年もオープンして一ヶ月が経ったが、このほど「カニの家の歌」ができた。作詞、作曲
は、"カニの家"が気に入り六月末からずっと住み付いている大阪市のバンドマン、
岡山広美さん(20)だ。昨年も帯広を訪れており、「今年は思いきって、長期休暇を
とってきた」と言い、自他ともに認める"カニの家"のリーダーをつとめる気のいい若者だ。

 

リーダー(こと西川さん)が作詞、作曲 

 「カニの家のうた」は、しんみりと語りかける。"青春の日の哀歓"が込められた
フォーク調の歌、まっ黒のに陽焼けしたたくましいいでたちで、最愛のギターを
弾きながらうたう。連日満員になっている"カニの家"のメンバーは、岡山さんの"うた"に
聞を傾け、思い思いの青春の日の一ページを綴っている。

 たまにはふとんに寝たいんだ
 旅人のためにならと
 自分を捨てて旅人に愛を
 心に残るような思い出を
 一度カニの家に来ると
 またもどって来てしまう
 住みやすさではどこにも負けない
 そんな暮らしの流れの中に僕は生きる

 心のとばりをあけてくれない
 そんな人がいたとしても
 カニの家に一度来たら
 明るい陽ざしの光の中に
 もう戻れない
 もう戻るのはいやだよ
 そんな暮らしの流れの中に僕は生きる

 岡山さんは二十三日夜にフッと思い立って、わずか五分ぐらいの間に作ってしまった。
「ピアノで"音付け"をしたいが、どこかで貸してくれないかなぁ、今はコードだけで
弾いているんですよ」という。岡山さんは"カニのテント"をたたむ九月末まで滞在するが
生活費は彫金でかせいでいるとか。街頭でよく見かける"針金のネーム作り"で、プローチ
ブレスレット、ペンダントなどの手作り品を、帯広市内のデパートや銀行の定休日に
軒先を借りて店開き、一個四百円からで、ヤングに受けている。

 一方、"カニの家"のリーダーとしても忙しい?毎日を過している。岡山さんは大阪を
二月三日に発って四月初めに北海道入り。"カニの家"に住みついてもう一ヶ月以上に
なった。「どういうわけか、こうなってしまったのだ!」と岡山さん。
うたの中にもあるように"カニの家に一度来たらもう戻れない、戻るのはいやだよ"と
若者にとってはこの上ない吸引力があるようだ。

 メンバーの面倒を良くみる。寝袋を持たない人には自分のものを貸したり、
二十五日の夜は四十人の定員のところ五十二人という今年最高の記録。
十八人の常連がいて岡山さんは雨の中帯広駅前に他の人といっしょに野宿した。
また、女性のカニ族が二十四人も泊るという"カニの家"始まって以来の記録を
作ったときは、二つのテントを男女別々に宿泊させ、酔っ払いや、興味半分でのぞく
"オオカミ"から女性を守るため二つのテントの間の戸外のすき間で野宿した、という
フェミニストでもある。そのほか、旅のアドバイスをしている。また、昨年の長期滞在者で
リーダーをつとめた青年も二十五日から顔を見せ、「カニ族とカニの家」の青春は
エスカレートするばかり。

 

人生の旅人たちよ・・・・  熊谷 克治さんの"詩"も

 毎年様々なユニークな話題を呼んでいる。二十日には「宿泊の記念に」と帯広地区労
(吉田勇治議長)がカニをデザインしたスタンプを作り、"カニの家"にお目見え。
また、旅を愛するカニ族へのメッセージともいうべき「人生の旅人たちよ」という
熊谷克治さんの詩が、西洋紙に印刷されて"カニの家"のメンバーの手に一枚ずつ
渡り、力づけている。

 砂のように サラサラと
 こぼれ続ける時間の中で
 君たちの青春はすぎていくのだ

という出だしの二十二行詩。「見るがよい、聞くが良い、みずからの足で求めるがよい」
という内容の若者を勇気づける美しい詩が置かれ、これからも楽しい話題は尽きそうも
ない。